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今日の画像のバラは ジャクリーヌ・デュ・プレ
白い花弁に赤いしべが美しい半八重のゆるいカップ先の花は、5輪前後の房咲きになります。
1988年、イギリス Harkness作出
この画像は資料からのショットですが、陽の元では明るく開いていた白い花弁も、
日没としともにべを包み込むそうです。
楚々とした白い八重咲き、少しはかなげななかにも品格と強さをただよわせるのこのバラは
夭逝した天才チェリストにちなんで名づけられました。

ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945年、オックスフォード生まれ)
ジャッキーの愛称で呼ばれていたデュ・プレ、3歳のときには、BBCの番組でチェロの音を聴いて
魅了され、母親に「ああいう音を出してみたい」といったそうです。
3/4サイズのチェロを買い与えられ、レッスンを始めたっ彼女の上達はめざましく16歳でデヴュー
このロンドンのウィグモアホールでのデヴューは、クラシック界にとっては驚異的な発見となり、
「1世紀に1人の名女流チェリスト」と絶賛されます。
1967年にはニューヨークにもデヴュー、レナード・バーンスタイン指揮で独奏したシューマンの
チェロ協奏曲のレヴューも、タイム誌の音楽ぺージを飾りました。
「彼女のみちあふれんばかりの生気もまた才能のひとつ・・技巧は非のうちどころがなく、
流れるようなフレージングもまた魅力的である・・このような迫力でチェロをタックルできる
女性はめったにいない・・」
ところがこの天才チェリストからチェロを奪ってしまうような病に彼女は侵されてしまいます。
1971年、体に異変を覚え「多発性硬化症」ー(中枢神経を冒す難病。神経の信号が伝わらなくなり、四肢の麻痺、歩行困難失明、意識障害などがあらわれてくるそうです)と診断されます。
闘病の末、1987年10月、ロンドンの自邸でデュ・プレは42歳の生涯を終えました。
彼女を精神的に支え、臨終を看取ったチェロの名教師ウィリアム・プリースの言葉です。
「闘病の間も、彼女は決して忍耐力を失うことはなかった。彼女の勇気はまわりのものたちを
支えてくれたのである」

ジャクリーヌの演奏は、夫ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団による
ドヴォルザーク協奏曲、バルビローリ指揮、エルガーの協奏曲をはじめ、名演が残されています。
また彼女の愛用した銘器、ストラディバリウスは、ヨー・ヨー・マが譲り受けて愛用しています。
残された演奏、愛用した楽器、そしてこの白いバラは、世紀を超えてこの天才チェリストを
語り継いでいくことでしょう。

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つうこ