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8日のHIROの diary にも取り上げられていたように、小澤征爾さんの活動休止宣言は
日本ばかりでなく、世界のクラシック音楽関係者、ファンに衝撃を与えました。
小澤さんが度々の公演で訪れ、若手育成の音楽塾をされている中国でもいち早く報じられ
遺憾と回復を願うコメントが発表されていました。遠い国での動揺は当然のことでしょう。
けれど会見の様子を直接見た私たちには「やることがまだまだあるからそのために今治す」という
強い意志と、検診を勧められる余裕さえ感じられ、少し安心しました。
その言葉の中で印象的だった「松本には間にあうように」という言葉・・
「松本」というのは毎年夏に信州松本で繰り広げられる音楽祭のことです。

昭和23年 まだ焼け野原の残る東京、市ヶ谷に、「子供のための音楽教室」が開かれました。
暗い戦争の記憶を振り切り、真の音楽家を育てる為小さいうちからきちんとした教育を授けよう、と
指揮者斎藤秀雄氏、ピアニスト井口基成氏、評論家吉田秀和氏によって開かれた教室
始めた当初はまだ楽器も弾けないような子供ばかりだったといいます。
悪条件のもと、厳しさと愛情をもって取り組む諸先生方の熱意、それに応える生徒たちの努力
今日数々の優れた演奏家を輩出する「桐朋学園音楽科」の母体となった教室です。
とくにチェリストでもあった斎藤秀雄氏は弦楽器を担当、世界に通用する「真のアンサンブル」をできる演奏家を育てようという理念のもと厳しいレッスンを授けられ、巣立った音楽家たちは
今日世界のオーケストラで主席奏者として、また音楽大学教授として活躍されています。
1974年斎藤秀雄氏が亡くなられ、10年後の命日に小澤さんの呼びかけでメモリアルコンサートが
行われました。 世界で活躍するスタープレーヤーが一堂に会する贅沢なオーケストラ
その演奏の素晴らしさは、テレビや録画で観ていても思わず背筋が伸びるほど・・
斎藤先生が自ら編曲をされ、学生達はくる日もくる日も厳しい指導を受けたバッハのシャコンヌ
とても言葉では言い表せない・・戦慄さえ覚えるものでした。
大きな反響を呼んだこの幻のオーケストラは、3年後サイトウキネンオーケストラとして登場します。
その後、ヨーロッパ、アメリカ、ザルツブルグ音楽祭等、世界を舞台にした公演でも大成功を収めた
このオーケストラは1992年本拠地を松本に構え、音楽を日本から世界に発信する夏の音楽祭の
中心オケとなります。
斎藤先生と夏合宿をされていた奥志賀、その縁で信州のこの地を選ばれたのでしょうか。
オーケストラやオペラの公演ばかりでなく、若い音楽家の育成も目指したクリニック、
地元の小中学生も参加するイヴェント等、日本の夏の音楽祭の代名詞となったこのイヴェント
1999年「菊池寛賞」に「小澤征爾とサイトウキネンフェスティバル実行委員会」が選ばれました。
この受賞によせて作家三浦朱門氏よりよせられた言葉に「信濃に根付いた美しい花」という
フレーズがあったそうです。土地に根づいた新しい文化が現れたことを喜び、その中心となった
実行委員会の努力と識見をたたえた言葉でした。
恩師斎藤氏の理念を受け継ぎ、日本から音楽を発信する、人を育てる、という小澤さんの意志と
音楽を愛し文化を育てようという強い人々の想いの集結したフェスティバル、
今年の夏にも小澤さんはきっとまた元気な姿を見せてくださることでしょう。

思えばまだ、小澤さんがボストン交響楽団の指揮をされていたり、タングルウッド音楽祭で監督を
されていた頃、来日公演を聴きにいったりTVで観るなどしながら、日本が誇るマエストロの躍進を
誇らしく思うと同時に、少し歯がゆい思いを抱いていました。
それが世界も認めるマエストロと夢のオーケストラが日本発信で演奏会を行うこの状況は、
確実に前へ進んでいるのだと思います。
今日の画像は、マーラーの交響曲2番「復活」のスコアです。かつて財政難で行き詰まり
解散を余儀なくされた日本フィルの最後の演奏会で、小澤さんが指揮をされたプログラムですが
昭和天皇に直訴までされた小澤さんのよびかけのもと、財界の援助を得て新日本フィルとして
分離独立、文字どおり「復活」を果たしました。
芸術家としての仕事ばかりでなく、人や文化を育てる仕事がようやく日本で花開き始めた今、
まだまだやることが・・とおっしゃる小澤さんの目の勢いは衰えてはいません。
足早に指揮台にあがられる姿、深いブレスと熱い指揮をされる姿に出会える日を楽しみにしています。

つうこ